「復元天守」ですらなく「復興天守」ということになっていますが、侮れないなかなかのお城でした。

小倉城は、細川忠興が関ヶ原の戦いの後に築城したもので、細川家が熊本に転封された後は、小笠原 15万石 が約240年にわたって居城としたものです。
天守は「唐造り」と呼ばれる独特の様式で、最上階の5階が下の4階よりも張り出しているのが特徴でしたが、1837年失火により消失しています。
戦後(1959年)市民の寄付等によって再建されました。

1.小倉城は、なぜ復興天守なのか
1960年前後に再建された天守は、名古屋城、熊本城、鶴ヶ城(会津若松城)、広島城などが外観復元天守ですが、小倉城はなぜ復興天守なのかというと…
破風(はふ)を追加したからだそうです。
細川忠興が築いた当時の天守は、屋根に三角形の飾り(破風・はふ)が一切なく、のっぺりとした質実剛健な外観でした。
それが「破風(屋根の飾り)がないと、お城っぽくなくて地味だ」「観光客が喜ばない」という意見が出たため、設計時に大きな千鳥破風や唐破風などの装飾を付け加えてしまったとか。
そんなわけで「復元天守」ではなく、「復興天守」(同じ天守の場所に再建されたものの当時の姿を復元していない天守)とされています。
2.実は、国内でも有数の大きさを誇る
高さは6番目らしい

創建時の1階の床面積は、なんと1位だそう
(あくまで創建時 書いてないけどその後、名古屋城と大阪城に追い抜かれて、現在の天守では3位らしい)

でも、石垣が低いのでそんなに大きくは見えませんね。正直10位の鶴ヶ城の方が大きく見える。

3.おまけ 松本清張記念館は休みだった
本当は、隣接している松本清張記念館に行きたかったのですが、月曜祝日の翌日ということで休館していました。残念!

4.感想など
平日の午後でしたが来訪者はさほど多くありませんでした。
後で行く広島城に比べると、(同じ平日の午後でも)半分以下と全然少ないです。
内部の展示は工夫が凝らされていて、
1階は、デジタル技術を駆使した 「流鏑馬ゲーム」や「なりきり体験」などもできるエンターテイメントエリア 、

2階は、細川家と小笠原家の歴史コーナー
3階は、巌流島の決闘コーナー
武蔵と小次郎の対決をわかりやすく詳しく説明しています。

旅番組などでもあまり小倉城は取り上げてなかったように感じます。
お城マニアの方には人気があるようですが、新幹線小倉駅から歩いて行けるほど、アクセスは良いし、私たちのような一般の観光客にも、もっと見直されて良いように思われました。