東京国立博物館(トーハク) に寄ったときに見た仏像について書いておきます。
博物館で見る仏像は、京都や奈良のお寺で見るときと受ける印象が違いますね。

阿弥陀如来および両脇侍立像(善光寺式)

鎌倉時代・建長6年(1254)
阿弥陀三尊像とは
この像は、阿弥陀如来を中心として、向かって右に観音菩薩(かんのんぼさつ)、左に勢至菩薩(せいしぼさつ)を配置した阿弥陀三尊像です。
阿弥陀如来:悟りを開いた仏で、中央に位置しています。右手を胸の前に、左手を下に伸ばす独特のポーズをしています。
観音菩薩:阿弥陀如来を模した像が冠にあり、胸の前で手を重ねたようなポーズをしています。
勢至菩薩:瓶を模した像が冠にあり、観音菩薩と同じく胸の前で手を重ねたようなポーズをしています。
これらの像は、青銅を鋳造して作られ、表面には金メッキが施されています。もともとは、三尊の背後に光背(こうはい)と呼ばれる板状の飾りが立てられていました。
善光寺式三尊像
この阿弥陀三尊像は、長野県の善光寺に伝わる秘仏である阿弥陀三尊像を模して作られた善光寺式三尊像と呼ばれるものです。
善光寺の本尊は6世紀半ばに朝鮮半島から伝わったとされていますが、誰も見ることができない秘仏(絶対秘仏)とされていました。しかし、11世紀頃から極楽往生を願う信仰が盛んになるとともに、善光寺の本尊への信仰も高まっていきました。
その結果、人々は本尊の姿を拝みたいと強く願い、12世紀末頃から本尊を模した像が全国各地で作られるようになりました。これらの模像が、今ご覧になっている三尊像と共通の姿やポーズをしており、この形式が「善光寺式三尊像」と名付けられました。
現在も全国に200点以上が残されており、本尊に強い信仰が集まり、その模像が作られるという日本の仏像史における典型的な例と言えます。
この像の阿弥陀如来の背中には、1254年に現在の栃木県那須地域で作られたことが刻まれています。
吉祥天立像(きちじょうてんりゅうぞう)

吉祥天は、幸福や豊かさをもたらす守護神です。インド神話の女神ラクシュミーが仏教に取り入れられたもので、その名は「めでたい」を意味します。日本では奈良時代から現在まで広く信仰されています。
10世紀の力強い仏像
この吉祥天像は、京都の大宮神社に伝わった像で、1本の木から彫り出された「一木造」です。ずっしりとした重厚感と、力強い表現が特徴です。
体つき:肩幅が広く、胸板が厚く、ふっくらとした顔立ちをしています。
彫刻:着物の袖の線には、ノミで荒々しく彫られた跡がはっきりと残っています。
こうした技法や表現は、10世紀の木彫仏像に共通する特徴をよく示しています。現存する吉祥天の木像の中では比較的古い作品で、その優れた彫刻技術がうかがえます。
感想 高さが166cmという大きさなのに、一木造というのがすごいですね。
菩薩立像

鎌倉時代・13世紀
装飾が凝っているのが一目でわかります。
本像は唇に水晶をはめてあり、金粉を膠(にかわ)で溶いた金泥(きんでい)を肌に施してあります。
十二神将立像
鎌倉時代・13世紀木造、彩
十二神将は、薬師如来を守る12人の武装した守護神です。
十二神将の「12」という数字は、薬師如来が立てた12の誓いに対応しており、それぞれの神将の頭には、対応する十二支の動物が象られています。
もともとセットであった12の神将像は、すべて今も残っており、東京国立博物館には12体のうち5体があります。このうち展示してあったのは3体です。
未神 ひつじ

戌神 いぬ

辰神 たつ

大日如来坐像

平安時代・11~12世紀
木造、漆箔
大日如来は密教の中心的な仏様です。宇宙の根源を司る存在として信仰され、日本では9世紀に空海が中国から密教を伝えて以来、多くの彫像や絵画が作られてきました。
菩薩の姿をした如来
通常、如来像はシンプルな姿をしていますが、大日如来だけは、高く結った髪に冠をかぶり、胸や腕に装飾品を身につけるという、菩薩と同じ姿で表現されます。
この像は木造で、複数のパーツを組み合わせて作られており、表面には金箔が施されています。
文殊菩薩騎獅像および侍者立像


鎌倉時代・文永10年(1273)
獅子に乗る文殊菩薩が、合掌する善財童子(ぜんざいどうじ)とインド人僧の仏陀波利三蔵(ぶっだはりさんぞう)、獅子の手綱を引く于闐王(うてんのう)、頭巾(ずきん)をかぶる大聖老人(だいしょうろうじん)という4人の従者をともなって海を渡る「渡海(とかい)文殊」の群像を表わします。
銘文などから興福寺勧学院(かんがくいん)の本尊だったことがわかります。
阿弥陀如来立像

鎌倉時代・正嘉3年(1259)
木造、金泥塗、截金、玉眼
仏像の手や指の形は「印」と呼ばれ、仏の働きを象徴します。この阿弥陀如来像が結ぶ印は「来迎印」といい、亡くなった人を極楽浄土へ迎えに来る様子を表しています。この像は、鎌倉時代の仏師快慶が流行させたスタイルで、高さ1m弱、全身が金泥で塗られています。
感想
京都に住んでいた学生の頃、広隆寺の弥勒菩薩像に惹かれて何度も見に行ったのを思い出しました。そのときは厳かな気持ちで見れたのですが、博物館だとなかなか落ち着きませんね。でも、国宝や重要文化財クラスの仏像が一度に見れるのは素晴らしいです。