還暦過ぎても

還暦過ぎても、心は少年のまま…

「社長たちの映画史」中川右介 を読む

「社長たちの映画史 映画に賭けた経営者の攻防と興亡」 中川右介:著 (日本実業出版)を読んでいます。

 

 

第一部は、映画伝来から終戦までの下りですが、小林一三東宝)、大谷竹次郎(松竹)、堀久作(日活)、大川博東映)、永田雅一大映)など、登場人物は個性に溢れた、というと不足で、怪人とでも言うべき人たちで、彼らが権謀術数を尽くすエピソードは面白いです。

 

 

この本を読むと、ネットバブル時代の経営者群像を描いた「ネット興亡記: 敗れざる者たち」に出てくる人物が(同じように時流に乗ろうとした人たちでも)ひ弱で器量の小さな人たちに見えます。

 

 

永田ラッパのような大悪党に比べれば、ホリ〇モンなんて小悪党は足軽みたいなもんです。

 

この時代の映画会社について、ひと言でいうと

日活は大馬鹿で
松竹はヤクザ

ということです。

 

日活の抗争劇

日活は、業績不振にも関わらず、というか、業績不振ゆえに、かもしれませんが、壮絶な派閥抗争を繰り返します。

 

たとえば、専務だった中谷貞頼が、企画部長だった永田雅一(のちの大映社長)を呼んで、横田社長を引きずり下ろそうと画策します。

 

中谷は「これから自分が言うことを一言一句覚え、それを横田のもとへ行って伝えろ」と永田に命じた。

 それはこんな話だった---織田信長高野山を取り囲み使者を立てて、「三日以内に下山すればよし、下山しなければ焼き討ちにする、三日間の猶予を与えるので、心を据えて返答しろ」と言った。高野山の坊主たちは喧々諤々の議論をしたが結論が出ない。そのとき末席の若い僧が「当山に重大なことがあった時は宝物殿の文箱にある遺言をあけろと祖先からの掟にあった。いまこそそれを開けるべきでは」と言った。開けてみると、そこには「随時」とあるのみだった。「時に随う」とは、すなわち信長の権勢に立ち向かうなという意味だと解釈され、下山と決めた。

この故事を述べた上で「ご勇退をお願いしたい」と言ってこい-という。
(略)
永田は京都にいる横田のもとへ向かい、覚えた通りのことを言った。
(66ページ)

 

 

しかし、社長になった中谷も、せっかく買収した日劇が上手くいかないなど半年で辞任することになります。永田は、中谷とケンカして(実はその前に松竹と通じていたらしい)退社し独立します。


同時に多くのスタッフも日活を辞めることになります。(なかには溝口健二~のちの日本の3大名監督の1人~も含まれていました)

 


松竹は汚い手を使ったのか?

堀久作逮捕

中谷の後、日活の経営の実権を握った専務の堀久作は新興の東宝との提携を進めます。これに横やりを入れてきたのは、松竹の城戸四郎。堀は断りますが、すぐに「蛸配当(株主への過剰配当)」という容疑で逮捕されます。

 

堀はまったくの無実(実際3カ月も取り調べされずに拘留されるなどおかしい点も多い)で、提携をよく思わない勢力の陰謀だ、と主張します。

-提携解消で得をする松竹の仕業か、筆者は永田雅一の可能性もほのめかしています。

 


長谷川一夫襲撃事件

松竹の大スターだった林長二郎(のちの長谷川一夫)が契約更新せずに、東宝に移籍。松竹はあらゆる手を使って長二郎を攻撃するも、東宝での撮影が始まります。
すると今度は、長二郎はヤクザに襲われ、顔に大ケガを負います。

 

ヤクザが単独でするはずはないので、裏にいるのは誰か?


最も有力な説は、松竹が永田雅一に1,000円渡して、長二郎の引き留めを依頼し、永田が当のヤクザか近いものに何かを指示した、というものだそうです。

 

林長二郎(のちの長谷川一夫)は可哀想です。
松竹を1人で儲けさせているのに、給料は阪妻の3,000円に対して200円と格安で、赤字を垂れ流している歌舞伎の連中(長二郎は初代中村鴈治郎の娘婿だった)からは見下され陰口を叩かれ、辛い日々を送っていました。

 

それなのに自伝には「私の傷が元に戻るわけでもなく、背後関係の追求はしないように申し入れました」と書いています。